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12,30 年末

今年も暮れようとしている。静かに振り返ってみれば色々な出来事があった。生きていれば当然のことでもあるが、中でも「災害」については自身も被災したこともあり、色々と反省も考えることも多かった。何時も思い出す言葉だが「人心乱れるが故に天又乱れる。」人心の乱れが結果的には大きな自然災害を招いた。例えば東北で言えば原発が無かったら、熊野川で言えばダムが無かったら、山や農地を大事にする生活があったら、、、、。結果は違っていただろう。原発やダムが人身の乱れの産物と決め付けるのは乱暴では有るが、見当違いのことではないように思う。この点をどう反省し、どう改めるのかは今生きる人間の責任である。人間が生きることをどう考えるのか。安易に経済中心に考えるのは矛盾がある。一方的な自然崇拝も無理がある。お金も自然も心も大事なものである。要はバランスの問題である。もの自体には何の価値も罪も無い。生かす智慧があれば全てが有意義なものになる。浅智慧だと逆効果になる。今逆効果が色々なところに噴出し目立っている。世の中の流れは年が改まっても変わることはないだろう。世の流れは流れとして、自分はどう生きるのか。何時も自問自答している。せめて俺一人でも、という気持ちと、俺一人がという気持ちが交錯しながら生きている。やるぞという思いと、やってもという思いが力比べをしている。今のところやるぞという思いが髪の毛1本分ぐらい勝っている。だからこんなことをしている。今年も多くの人たちにお世話になった。感謝の言葉もない。やるぞという思いがお世話をかけてしまう。本当にこんな自分で申し訳ないと思いながら生きている。
命が有る限り悩み迷いながらの道が続くことになる。廃校になった木造校舎を生活の拠点として7,8年が過ぎようとしている。畑を耕し、種を蒔いてきた。多くの人たちとの縁もあった。来る人去る人様々な人間模様が織り成されてきた。縁のある人たちが、自分をどのように評価しているのかは解らない。当然のことながら、相性があり好き嫌いがある。ごめんなさいというしかない。
自分に出来ることを出来るときにやる。その繰り返しのなかで、縁が出来たり消滅したりしていく。過疎地にいながら色々な若者との縁が生まれている。居を構えた若者も何人かいる。若者の成長ははやい。自分はと振り返ってみれば、変化はしているが成長というよりも退化しているような気がする。久しぶりに会った人から「丸くなったね。」といわれた。自分に妥協することが多くなったようにも思う。その分丸くなったようにみえるのかな。体力の衰えがそうさせるのか。などと既に自分に妥協している。今年はとにかく終わろうとしている。心中密かに思うことは有る。縁が整った分だけ実現していくだろう。心機一転新しい年を迎えよう。
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