FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

種を蒔くとき

12,10
  朝起きたら薄っすらとした雪景色。風が強く寒い日が続いている。今の時点では小麦を早く蒔いておいて良かった。小麦も今のところ順調に生育している。冬景色の中に青々とした小麦畑を見るのは気持ちがいい。
  
地区の公民館の改修工事が始まっている。何気なしに覗いたら、床に合板を貼ってある。ここは水害で被害を受けたから改修している場所である。又浸水する可能性がある場所である。そこに何故合板を貼るのか。合板がいかに水に弱いか知らないのか、承知の上で使用しているのか? 公務員とは学習能力のない集団なのか。そんなことはないだろう。自分の事でないからどうでもいいと考えて無責任をきめこんでいるのか。同じ失敗を当然の如く繰り返す。その結果莫大な借金を作り上げてきた。どこかで笑っている人はいるだろうが、そのつけを回される国民市民はやり切れない気持ちになる。こんなことを書く度に、虚しい気持ちとやり場のない義憤が沸いてくる。

批判をしても何も始まらない。自分で出来ることをするしかない。自分の住んでいる地域で一番多いのは80代。ここ3年間がラストチャンスだろう。古いものが滅びる前に新しい種を蒔きたい。今まで10年間は自分なりに畑を耕してきたつもりである。種を蒔くに時がある。種により実は決まる。どんな実でも何れは朽ちていく。朽ちたとき、より良い次の芽を出すことの出来る、種を蒔きたいものである。

百姓は1に種、2に土、3に作りという。百姓になって10年を過ぎた。学んできたことを生かしたい。種を蒔くことは泥を被ることでもある。泥を肥やしとすることでもある。一人の人間として出来ることには限りがある。限界を承知したうえで出来ることをする。結果は豊作か不作かは解らない。その時に出来ることをするのが百姓である。百姓とは哀しいものである。哀しみの中に楽しみがある。自分は気が弱くて短気である。冬の寒さを吸収し、踏まれるたびに成長する小麦が好きだ。今年も麦踏の季節が来た。

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
関連ページ
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。