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  親父が数え99歳で旅立った。これで両親がこの世からいなくなってしまった。自分にとっての一つの時代が終わった。覚悟はしていたものの、別れは悲しいものである。
親父は何時も冷静な静かな人だった。お袋は感情的で激しい人だった。水と火の組み合わせであった。これで夫婦揃って仏になった。

  子供の頃、母方の祖父が亡くなったときには土葬であった。葬儀も自宅で行われた。
今は火葬であり、葬儀も自宅でもお寺でもなく斎場で行われた。時代の流れと言ってしまえばそれまでである。一昔前までは冠婚葬祭を含め生活には地域の文化があり風俗習慣が伝わっていた。
 今は葬儀も葬儀屋が仕切り、何とか会館でする場合には、地方色はないに等しい。結婚式にも同じことが言える。
 冠婚葬祭という、人生の大事な節目の出来事もお金で済ませてしまう。人生そのものをお金で、誰かに売り渡してしまう。
 出産も医者の都合に合わせる事を強いられている。育児も教育も誰かの都合に合わせることを当然の如くしている。社会人という身分になれば、社会の常識にこれまた縛られることになる。年をとれば介護福祉に合わせる事になる。一体何時自分の都合を取り戻すことが出来るのか?

 親父は、国家の都合で、家族を置いて戦場に赴いた。どんな気持ちだったのだろうか。
どんな気持ちで子供を育てたのだろうか。

 自分は社会の常識という都合に少し疑問を感じ、ささやかな抵抗しながら生きている。自分の中にある疑問を大事にしていると結果的にそうなってしまう。自分の周りの多くの人たちは社会常識を是として生活をしている。一寸した考えの違いが生じてしまう。赤の他人ならば関係が薄いから、衝突も少なくて済むことがある。身内になると関係が深い分だけ一度衝突が生じてしまうと深く長くなってしまう。単に少しだけ考え方が違うだけの問題が、それだけの問題では済まされなくなってしまう。人格を否定され存在そのものを否定される。否定するほうには悪意がない。善意が心に刺さる。善意が人を傷つけてしまう。世間ではよく身内同士のトラブルがニュースになる。所謂骨肉の争いである。自分の考えに執着するのはお互い様だから、仕方がないことである。親父が誰かと感情的になっている姿は見たことがなかった。

 不肖の息子であり親不孝者である。両親はこの世からいなくなったが、血は受け継いでいる。自分は自分らしく生きていく。命の有る限り。  合唱

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