スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

9/30 被災者になって思うこと。

暫く途絶えていた独り言も再開しようかと思いました。
9月3日4日の台風12号で、熊野に来てから12年間積み重ねてきたものが一夜にして水没し失いました。ご心配やご支援を頂きました皆様には心から感謝申し上げます。お蔭様で家族も関係者も無事であり、元気に復旧作業に精を出しています。
電気は通電しましたが、ネット環境は未だ不完全です。

台風の最中に思ったことは、東北の被災者の子供たちを送り出した後で良かったということでした。8月30日まで子供たちとキャンプをしていました。

一夜明けて惨状を目のあたりにしたときに最初に確認したのは、収穫したばかりの約900kgの新米でした。8月28日に子供たちと一緒に収穫したばかりでした。袋を開けたところ、これならば今すぐ洗い乾かせば大丈夫だと思いました。しかし次の瞬間今年の新米は諦めようと思いました。周りの惨状を思った時、そちらの片づけを最優先すべきだと判断したからです。幸いなことに若者が6人いました。彼らも自主的にご近所の片付けに精力的に汗を流してくれました。濡れた畳や布団の重さはお年寄りにはとても無理です。
若者の働き振りを頼もしくも嬉しくも思いました。ドラムに保存していた小麦は無事でした。

数日してから色々な人たちが助けに来てくれました。農業を少しでも経験している人は、必ず袋に入ったままの新米のことを気にかけてくれました。そして色々の助言も頂きました。でもどうしても手を付けることはできませんでした。
毎朝新米に謝りました。約2週間経ってご近所の後片付けも一段落したときに田んぼに帰しました。

もう一つ気になったのが味噌でした。約100kgありました。3年4年前のものもありました。水没してだめだとは解っていてもどうしても処分する気になれませんでした。容器を一つ一つ開け舐めてみました。いい味がしました。
でも全てを処分したのは新米よりも後のことでした。
川で容器を洗いながら手塩にかけたものが、こうして水に流れたのかと少し感傷的になりました。

過去を水に流しこれからどう再建するか思案しています。形あるものは崩れましたが、積み重ねた知識と経験に裏づけされた智慧は自分の中にあります。
お金やものではなく智慧を頼りに生きていけば何の問題もないと心も落ち着きます。
被災当初はパン屋は直ぐにでも再開しようと思いましたが、時間がたつにつれてこの際ゆっくりしようと思い始めています。めったにないチャンスですので暫くはのんびり構えてすごそうという思いになりました。

自分の生き方を更に精査するよい機会だと思います。
経験には自らの意志でするものと、今回の被災のように自らの意志とかけ離れたものがあります。しかしよくよく考えてみれば今回の被災も自らの意志で生きてきた結果ともいえます。元々自らの意志など、とるに足らないものだともいえます。
現実に起きている事実は一つですが、考えようはいくつでも頭の中を去来します。所詮妄想の中で生きている自分が笑えます。この世に生きている間はこの世での妄想に生き、あの世ではあの世での妄想に生きるのだろうと思います。何処にいても妄想に生きるならば、少しでも楽しく生きられるような妄想をしたいとも思ったりします。
妄想を断ち切ろうなどという、妄想も湧いてくるのも事実です。どんな状況にあっても自分の志向の癖は変わらないようです。
現在の自分の智慧は、妄想と仲良くするか、という程度のもののようです。
妄想も自分の心の一部ならば大事にしたいと思います。
日々出来ることを積み重ねていこうと考えています。種を蒔く時には種を蒔き、実を刈る時には実を刈る。晴れた日には帽子をかぶり、雨が降ったら傘をさす。
帽子が無ければタオル被り、タオルが無ければ木陰を借りる。木陰も無ければ日暮れを待つ。何時か日は暮れる。雨も止む。暮れた日は明け、止んだ雨は又降る。変化することを心配したり恐れたり喜んだりすることも妄想だとすればそれはそれでいい。

9月は農作業は何も出来なかった。耕運機も草刈り器も水につかり故障した。耕運機は直してもらい、草刈り器は自分で直した。来月からは小麦を蒔く準備に入る。時の流れに従って生きる。被災して学んだことかな?、、、、、。

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
関連ページ
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。